旅日記 1993年2月ドイツ編 (ヨーロッパからインドヘ)

ドイツのフランクフルトに到着

季節は、2月の寒いころでチケットが安くなる時期だった。まずHISで大韓航空のチケットをドイツまで買って、インドヘのチケットはパリで買うことにした。旅行は、Uさんの父親がキリスト教徒でもあり人生最後までにイタリアのサンピエトロ寺院へお参りをしたいということで計3名で行くことになった。

海外旅行の個人旅行というと言葉の問題があったが、Uさんは自衛隊にいた頃に学んだだけで英会話をマスターしたツワモノだった。私も英語は、そうできるほうでなかったが,中学生の頃に英語教師から中学2年生レベルの英語の知識があれば海外旅行をひとりでできると言っていたのでそれを思い出して頑張ることにした。

さて、当時の大韓航空は、日本の航空会社に比べると安いのでサービスが落ちると聞いていたが、貧乏旅行の我々には快適そのものだった。Uさんがうまそうにウィスキーを飲んでいる。このころはまだエコノミークラスでもサービスが今よりずっと良かったように感じる。各国の種類のウィスキーなどが自由に選べた。さて広島から韓国を経由して13時間かそれ以上、いい加減長い間、飛行機に閉じ込められてやっとドイツのフランクフルト空港に到着する。

はじめてのヨーロッパに到着だ。空港から電車で駅まで行き外にでると一気に氷点下の空気になった。震え上がって身が引き締まる。手袋を持ってきたことを思い出して慌ててつける。既に夜の9時を過ぎていたので、コンビニみたいな店で食料と飲み物を調達することに。店に入ってみると見たことがないチーズや生ハムみたいなものがたくさんありビールとともに買ってみる。そしてタクシーでホテルへ連れて行ってもらう。ホテルでの夕餉は、先ほど買った食糧で修学旅行のように楽しいものであった。

生ハムは思ったより塩が効いている。Uさんが言うには保存料をつかってない分、塩を利かせているのではと言う。しかし、味わい深くビールとの相性は素晴らしい。明日はUさんが提案した大事なおもちゃの展示会に行く日だったので早めに寝ようとするが興奮しているのか、なかなか寝付けない。

さて夜みたいに暗い朝が来た。ヨーロッパの北のほうであるドイツのフランクフルトの冬は、どんよりと曇った感じで朝もまだ夜中のようだ。しかし、窓から外を見ると市電が走っておりそれを待つ人が見える。

ホテルは朝食付きということだったので3人で食堂へむかう。しかしドイツのホテルは、本当によく掃除してある。国民性によるものだろうか。金属製のものがすべてピカピカに磨いてあるという感じだ。食堂も整理整頓してあったが、もっと驚いたことには、朝食の食材の種類が多く山盛りだったことだ。各種のチーズ、ヨーグルト、パンをはじめ見たこともないものが沢山あった。特に魚の酢漬けとオリーブの串刺しは美味しく印象に残った。後に旅慣れてみるとドイツの周辺の国のホテルは、朝食が充実しているのが伝統のようだ。

朝食を終えるとUさんが目的のおもちゃの展示会にみんなで行く。手作りのおもちゃが多く子供に創造性を養わせるものが殆どのようであった。その展示会を見終わってからドイツの街並みを3人で歩く。フランダースの犬で出てきたような街並みが続く。絵の構図に困らない風景が続く。

ドイツの列車でUさんと。                     ドイツの広場で

夕方になりドイツ料理を庶民が集っている店で取ろうということになる。適当な店に入って英語のメニューを見せてもらうが全く分かず、当てずっぽうで注文する。

ただ白ワインが名物とだけは分かっていたので注文すると辛口のワインが出てきてUさんが大喜びする。余りにも料理が来るのが遅くうたた寝していると小さな座布団みたいなポークステーキが出てきて驚く。Uさんに手伝ってもらってなんとか平らげる。

数日のドイツ滞在だったが、印象的だったのは、おとぎの国に出てきそうな建物とビールの旨さであった。特に小麦で作ったヴァイツェンというビールが美味しかった。駅のパブでこれを注文すると周りのドイツ人がチラッとこちらを見て「ほう、ヴァイツェンを注文するなんて通じゃないか」という顔をしてみたりする。だから、こちらも「そうさ俺もビールには少しうるさくてねえ」という顔をして飲むのだった。

さてドイツで展示会をみるという目的も終わり次はフランスかイタリアのどっちにするかということになった。私がミラノ在住の日本人に輸入業のことを尋ねるという目的があったので先にイタリアにいくことにする。スイス経由の夜行列車に乗りミラノへ。ヨーロッパ経験のUさんが言うには、南に行けば行くほど危なくなるので注意しなければと言う。のちにその言葉が未来を暗示していたのだが。

今回ヨーロッパは、約10日程の日程で3か国を列車で回る予定だったのでヨーロッパ本土で使えるユーレイロパスというのを買っておいた。これは、ヨーロッパ本土以外の人むけに優遇措置がある切符で特等席にも自由に乗れるというものであった。

当時のドイツが誇るICEという日本の新幹線をもっと豪華にした感じ列車に喜び勇んで乗って時のこと。特等席に入ったところ我々はやや驚いて後ずさってしまった。なぜなら中にはエリートビジネスマン風の男性やキャリアウーマン風な女性、いかにも上流階級風の家族などで占められていたからである。車内もサロンといった感じで優雅であった。

それに比べて我々の服装ときたら上はスキージャケット下はGパンかコールテンのズボン、大きなリュックを担いでいるバックパッカーそのものであった。まさに場違いのところに来てしまった。そう感じた我々は、隅の席で小さくなっていた。

時々、車掌さんが来て「あんたら本当にこの席?」とチケットであるユーレイロパスを確認に来るのであった。