旅日記 イタリア編(ヨーロッパからインドヘ)1993年

ミラノのレストランでご馳走体験

さて、夜になりミラノ行きの寝台車の一室が3人で貸し切れることになった。Uさんが列車がイタリアに入った時点で危なくなるというので荷物をチェーンで繋いでおく。列車が国境を通るたびに車掌がパスポートを点検に来るが、そこまで用心することないだろうと大声で笑っていく。

月がきれいな夜を列車は、穏やかに山越えしていく。Uさんが昼間ならスイスの美しい景色が見れたのになあとつぶやく。ここがあのスイスかと暗い外を見つめながら眠りにつく。

翌朝、8時頃にミラノに到着。南に下った分、空が明るく太陽が近く感じる。また駅に降りると人々の動きもドイツより活発な感じがする。両替を終えて外に出るとミラノ駅の壮大なつくりに圧倒されしばし見とれる。ガイドブックによるとやはりこのミラノ駅は壮大な建築で有名らしい。案内所でベストホテルという歩いて10分ほどのホテルを紹介してもらう。

ホテルでしばらく休んで3人で美術館めぐりをする。Uさんは美術にも詳しくて下手なガイドよりずっとわかりやすく面白い。彼が解説するとその美術品に興味がない人も興味を覚えてくるから不思議だ。

ミラノのミニ観光を終えて夜になった。ホテルの主人にレストランを紹介してもらう。行ってみると家族経営みたいな小さいレストランで常連客らしい老人が幸せそうに食事している。ドイツと同じで何を注文していいか分からなかったのでウエイターに任せることにする。感じの良い中年のウエイターが選んでくれた料理は、旨いの一言だった。奮発してワインを2本飲んでしまった。これだけの料理だから1万円はいっただろうねえと話していたが、レシートを見ると4千円もいってなかったので3人して驚く。

Uさんのお父さんと。

翌日ミラノ在住の輸入業の日本人とも無事に逢うことができイタリアから日本への輸入業の状況も説明してもらうことができた。やはりインドからの輸入が難易度からいっても敷居が低いみたいだ。翌日はもっと南に下って芸術の都フィレンツェへ向かうことになる。

芸術の都フィレンツェへ

ミラノから列車で朝に経ち昼過ぎにフィレンツェに到着する。列車から降りると20才くらいの男性がしきりにホテルの勧誘をしてくる。最初は、無視していたが、優しいUさんが「この兄ちゃん、良い人みたい。部屋を見るだけ見てみよう」というのでついていく。石畳の道を7、8分歩いていく。途中に革製品や衣服を満載にした屋台が軒を連ねる。ある古い建物の2階がホテルになっていた。値段の割に奇麗なのでここに泊まることにする。

フィレンツェは、とても美しい都で町全体が芸術品のようだ。有名な美術品も多く、例のごとくUさんに解説してもらい、誰でも教科書の案内で見たことのあるウフィツィ美術館の「ビーナスの誕生」やアカデミア美術館のダビデ像などを鑑賞する。

 ダビデ像…今なら混雑してこんな写真は撮れない。     ドゥオーモ…大聖堂 写真が暗い

夕食後、すっかりこの町が気に入った我々は、夜の散歩をしようということになり、最初は、我を忘れて元気よく歩き回っていたのだが、帰り道が分からなくなってしまった。ホテルを目指して1時間も歩き回っただろうか。Uさんがヨーロッパの町は敵を混乱させるためにわざと分かりにくく作ってあると話した直後だった。ふと私が横を見るとホテルの前に来ていた。どうやら同じところを何度も回っていたらしい。くたびれ果てたUさんの父親は、どうなることやらと肝をつぶしていたらしい。

しかし、この後にローマで起こることに比べたら生易しいものだった。

以前ヨーロッパを一人旅したUさんもローマは初めてだという。日本から持ってきていた「地球の歩き方」というガイドブックには、色んな泥棒の被害にあった記事が多く掲載されていた。しかし、私は観光地で注意すれば良いくらいに考えていたのであった。フィレンツェでも少しも危ないことは起こらなかったので油断していたかもしれない。しかし、それでは甘かった。

ローマでジプシーに襲われる

ちょうど通勤ラッシュの時間帯にローマのテルミナ駅に着くと制服を着た中年の男性が近づいてきて「私は観光局から派遣されたホテルの紹介者です。」と挨拶してきた。紹介されたホテルは値段も妥当だったのでそこに決める。そのホテルは、このテルミナ駅から3っ位地下鉄で行ったところという。私は早くこの重たいリュックから解放されたいと思っていた。

さて日本の地下鉄と同じように階段を下って乗り場に歩いていくと、いかにもジプシーという感じの黒ずくめの中年の女が赤ん坊を抱えて何やらぶつくさ言っている。お恵みをとでも言っているのだろうか?何か不吉なものを感じたが、通り過ぎる。そして登りと下りの見通しの良いエスカレーターがある場所へ出る。その時に下りのエスカレーターから強烈な視線を送ってくる若い男性に気が付いた。一応スーツ姿だが何か貧相で落ち着きのない感じが伝わってくる。

そして、降りてきたばかりなのに今度はエスカレーターに乗ってきた。そして乗り口で鉢合わせになった。私は警戒していたので相手にどうぞ前へと手を差し出すが、どうしても私を先に乗せたいらしく譲らない。仕方なく先に乗るが、ちょうどエスカレーターの一段下の右側に彼が位置することになった。何だか右ポケットのところがくすぐったいので後ろを見るとサッと手を引く気配がする。ポケットには何も入れていないが両手を後ろポケットに入れてエスカレーターをやり過ごす。

やっとエスカレーターを降りてUさんらと「いやー、さっきの若い男あれ怪しかったよと話していると、先ほどの黒ずくめの赤ん坊を抱いたジプシー女がすぐ近くにいるではないか。

来る電車に乗ろうとするが、急に人がどこからともなく溢れてきて乗れない。大きなリュックを背負っているのでなかなか自由がきかずに早くホテルに行きたいと気持ちばかり焦る。

ポケットのあたりが何かくすぐったい。ふと横を見るとあのジプシー女が隣にいるではないか。あの入口からかなりあるのに、あの場所から我々をついてきたのだ。私が見返すと知らぬふりして赤ん坊を抱いている。その赤ん坊もひょっとしたらダミーかもしれない。ふと見ると赤ん坊を支えていたと思われる手は、首から布で吊っているため自由に使えるようになっている。つまり両手を使えないように見せかけているのだ。Uさんらと目配せして、このジプシー女から離れるように移動する。

次に来た列車もすごく混んでおり乗ろうかどうか迷ったが、これじゃいつまで経っても乗れないと思い、三人で乗った瞬間だった。12,3歳位の3人の少女がすぐ後から入ってきてUさんのポケットというポケットをパンパン叩き始めた。驚いているとUさんが「ピックポケット、ピックポケット!」と大声を出した。少女らは、気に留める素振りをするのでもなくドアが閉まる直前に悠然と出ていった。一体何が起こったのか? 傍目で見ている分には何も盗まれているようには見えなかったが。「大丈夫かい、何か取られなかった?」と聞くと大丈夫みたいと答えたのでホッとする。通勤客と思われる男性が心配そうに声をかけてくる。

13,4歳のジプシーの少女たち
13,4歳のジプシーの少女たち 電車内でスリをする危険な輩 

少しショック状態になったので次の駅でひとまず降りる。「でも、何も取られなくて良かったよ」と言った直後だった。Uさんの顔色が変わった。「やられた!」信じられない気持ちで何をと聞くと。3人合同のユーレイロパスがないというのだ。見た目には単にポケットを上からパンパン叩いているだけのようだったが、Uさんの上着の胸ポケットまでしっかり届いていたのだ。油断していた乗り降りのドアの開閉の瞬間を狙うとは!なんというスリの技だ!3人でしばし呆然と駅構内に佇む。

しかし、ジプシーたちの歓迎は、まだ終わってなかった。我々は、気を取り直してホテルに向かう。しかし、地上に出ると今度は待ってましたとばかりに5歳くらいから10歳位で構成された10人位の集団が不気味にニヤニヤしながら近づいてくる。リーダー各の女の子は、顔が隠れれるほどの大きさの段ボールを持っている。Uさんが「あれは本で見たことがあるぞ。ジプシーの子供たちだ。気を付けて」という。

子供らは、近くの大人たちからこっぴどく叱られているが、全く意に介さずといった様子だ。どこからかサングラスをかけた私服警官のような男性が現れて我々を護衛するように並び子供たちを何度も追い払ってくれる。ホテルは信号を渡ってすぐだったので、ほっとして玄関ドアに向かおうとした時だった。どこからともなく子供たちが現れ、突然段ボールを顔の前に突き出してきた。こちらが戸惑っているうちに何かを取ろうとしているのだ。そっちがその気なら子どもとて容赦はしないと段ボールを突き放して走った。すると、そりゃないよというふうに遊びのゲームでずるをした相手を責めるように子供たち全員でブーブー大きな非難の声を上げるのだった。

やっとホテルに無事に着くと、異様な恐怖感から解放されたからかドっと疲れが出てきた。2階のフロントの女性が微笑んで迎えてくれたが、「ふーっ」とため息をつく我々を見て「どうしたの?」と尋ねてくる。いきさつを話すと急に顔色が変わり、怒り心頭といった様子であいつらのためにローマがどれだけ迷惑しているかと言う。

ジプシーの子供たち

ホテルとも相談して、一応警察に届けたほうがいいということで、一休みしてから行くことにする。Uさんが言うにはジプシーというのは、普通と善悪の判断が大きく異なり、仲間意識が強く団体行動をとるらしい。再び駅近くの交番まで行くとなるとジプシーたちとかち合うではと気が重かったが、不思議なことに今度はそれらしい人影は見当たらない。地下鉄の構内にもいない。先ほどのことが幻のようだ。彼らは盗みに効率の良い時間帯などを把握しているのだろうか。

駅の警察署を訪ねると若い旅行者風の女性が応対してくれた。彼女の話によれば、Uさんを襲った少女たちは、おなじみの連中らしい。調書みたいなものを書いて帰る途中、ユーレイロパスは、お金じゃないのでゴミ箱に捨てたんじゃないかと思いゴミ箱を見てみるとなんとパスを入れていた赤いビニールの入れ物があった。残念ながら中身は抜き取られていたが。

気を取り直してホテルに帰ることにした。フロントの女性は、数か国語が話せる有能な女性だったが、気分転換に日本から持ってきた翻訳機をイタリア語にセットして作動させた。

すると、目を丸くして驚き信じられないという表情をする。そして他の従業員を大声で呼んでもう一度やって見せてという。翻訳機からイタリア語が発音されるたびに大きな歓声が上がる。一躍人気者になった我々は、この陽気なホテルスタッフと意気投合し肩を組んで写真を撮ったりした。何だか少し元気になってきた。

ローマ市内見物

Uさんの父はもうローマはまっぴらだという。しかし、なんとか気を取り直してホテルが紹介してくれたバスの市内観光ツアーに参加することにする。ツアーには本で見たあのコロッセオも含まれているという。私は、そのコロッセオに行けることで不快な出来事を忘れようとしていた。

  コロッセオ前で                    ローマのホテルのフロントの女性とUさん

その昔ローマ全盛の頃、コロッセオでは多くの死闘が見世物として行われていたという。それは、庶民の政治に対する不満を別の方に向けさせる為だったという。それは、現代でも同じようなことが行われているように感じる。独裁者のような政治家が他国に戦争を仕掛け同調を得るのと似たような戦略かもしれない。夕陽が赤く差し込んできたコロッセオで、はるか昔に思いをはせているとUさんが「いやあ、昔の人は大変だったなあ」とポツリと呟く。

ある新聞のコラムでローマ時代の奴隷は、現代人よりも幸福だったと読んだことがある。妻子を持って一緒に暮らす権利があったという。単身赴任や食事を一緒に取れない家庭が増えているのを考えるとある意味当たっているかもしれない。昔も今も大変ということでは変わりはないようだ。きっとあのジプシーたちも日々の生活は大変なのだろう。

夜になりホテルから教えてもらったレストランへ行くが入った途端、今回は外れだなと感じた。お客が地元の人でなく観光客で占められている。ウエイターは、日本で雑誌に紹介されたという記事を見せしきりに高いメニューを薦めてくる。多分この店も最初は良心的な価格で美味しくて良い店だったのだろう。しかし、観光客が押し寄せてくるようになって味が落ち価格だけが上がっていったのだろう。案の定高くていまいちの料理だった。

あの安くておいしいミラノのレストランのように小さな何でもないような店が安価で素晴らしい料理を出す。それが文化だと思うし我々は、それに触れに来たのだ。少しさみしい気持ちで店を出る。

2月のこの時期はヨーロッパではバーゲンセール、サルディと書かれた看板が目立つ。真冬といってもいいこの時期でもローマは、観光客やバーゲン狙いの人で人通りが多い。それは、他のヨーロッパの有名処と比較して冬でも過ごしやすいからかもしれない。

我々は、ローマの休日で有名になったトレヴィの泉などを散策した後にUさんの父が目的としていたサンピエトロ寺院へ向かった。ここには、私が旅の目的の1つとしていたミケランジェロの最高傑作とも言われるピエタがあった。美術品巡りにはいい加減食傷気味だったが、このピエタだけは好きな作家が感動していたというので是非とも見ておきたかったのだ。入口を入ると右側に人があつまっている場所があり、薄暗い照明の中で白く浮かぶように「ピエタ」があった。死せるキリストを抱きかかえるマリア、磔になった後のキリストの手には釘の痕が残っている。今回の旅で様々なキリスト教関係の美術品を見てきたが私のとってはこの作品がそれらを代表するもののように思えた。人間の業や切なさをこれひとつで代表しているように物悲しい気持ちにさせる傑作に思えた。

トレヴィの泉前で              サンピエトロ寺院のピエタ

サンピエトロ寺院からの帰りに卒業旅行をしていた男子大学生とジプシーのことで話が盛り上がった。彼も例の段ボールを持った子供たちに取り囲まれたという。しかし、強気で段ボールを叩き落すと風船がパンクしたみたいに急に弱気になり退散して行ったという。

さて、ユーレイロパスもなくなったことだし、スペイン行きは諦めてパリに向かって北上しようということになった。途中に田舎町のデジョンによってフランスの田舎を観光することにした。ホテルを出て駅に向かおうとすると例の段ボールの子供たちがどこからともなく近寄ってきたが、大学生の話を聞いていたUさんが段ボールを叩き落すと急に弱気になりあっさり退散したから拍子抜けするのであった。

地下鉄に乗ると若い東洋系の女性が話しかけてきた。韓国語のようだ。どうやらバッグに貼ったままにしてあった大韓航空のラベルを見て私を韓国人と思ったらしい。日本人だとわかると英語に変えてスリに注意してと言う。なにやらローマに来たばかりのころ財布を掏られたということだった。それもお金持ちの日本人と間違われて…。多分まだこのころは日本人はバブルの時代ということもありお金持ちと思われたかもしれない。ごめんなさいと日本人を代表して謝りたい気持ちだった。

ちょうど、私とこの女性が話していた頃、Uさんの父はスリと思われる男と悪戦苦闘していらしい。地下鉄を降りると「あの野郎!もう少しだった」と興奮して言う。ポケットに誰かが手を入れてきたのがわかったので手を掴んで駅に引きずり出そうとしたが、するりと抜けて中の車両に逃げていったという。そして構内に出て列車が走り出した時に「あっ!あいつだ」と指さすので見ると落ち着きのない目をした若い男がこちらを見ていた。ジプシー君もポケットにはちり紙しか入ってなかったらしいので落胆しただろう。さらば、最後の最後まで我々に関心と情熱を寄せてくれたジプシーよ!さらばローマよ!