インド編 ガンジス

聖地ガンジス

翌朝5時に係りのインド人がバラナスィと言って起こしに来てくれた。そして5時15分にガンジスに到着。晴れていて朝日がとてもきれいだ。幸先が良いと感じた。駅から歩き出すとリクシャーの運転手たちだろうか。5人ほどインド人が付いてきてうるさい。7ルピーで川の入口までということだったのでリクシャーに乗るとすぐにガンジスに到着する。ちょうど朝日が昇ったばかりのガンジス河はきれいだった。

すぐに走っていこうとすると川の入口に手足の不自由な女性たちの乞食がいてお恵みをと言ってくるのであるが、逆に怖くて走って通り過ぎる。後で他の観光客に聞いたところによると彼女らは小さいころに親から乞食として生きていきやすいように小さいころに手足を不自由にされているということであった。しかし、通り過ぎて後を見ると普通の井戸端会議をしているおばさんと同じでとても明るい感じでキャッキャッ言っていたので意外だった。本人たちは、運命を全部受け入れて日々を明るく暮らしているようだ。

ガンジス河に到着しました。

ガンジスはヒンズー教徒の聖地ということでここで火葬が行われているということであった雰囲気が明るく又世界中から観光客がくる地ということでお酒も飲めるということであったので久し振りにビールを飲むことができた。インドのビールなので現地人が飲まないからだろうか味の方はいまいちであったが。またこの日の夕方にはやってみたかった沐浴をしてみた。水は汚れているということであったが、思い切って沐浴するととても気持ちが良くすっきりした。なんでもヒンズー教によるとこの川で沐浴すると人間の業がかなり取れるということであった。

次の朝6時に起床して河のほとりで朝日を見ながら笛を吹いてみた。これもやりたかったことの1つであった。そのときに大阪から来たTさんという30歳位の男性に声をかけられた。彼は感じの良いインド青年とインドの名所を巡っているらしかった。インドでは観光客はツーリスト価格と言って本来の価格よりも高く取られるのが一般的だがTさんは旅の途中で意気投合したそのインド青年のおかげで現地価格で旅行しているとのことだった。

ガンジスを中心に周りの街をみんなで回ってみた。ここはサルナートと言われる場所です。

そこで行きたいと思っていた向こう岸にこのTさんらと船を借りて行ってみようということになった。勿論このインド人青年のおかげで向こう岸に渡る船を現地価格で借りることができた。さて友人のUさんに三途の川と暗示された向こう岸に渡ると砂浜があるのみで人はいる気配もなく大きなハゲタカのような鳥が舞い降りているところだった。なんにもない様は、まさに死の世界と言った感じであった。それからマハラジャの城にも行くことができた。こちらは昔の城という感じで中は涼しく近くの川に像が水浴びをしていたりとインドの現地の雰囲気を堪能できた。ここガンジスで過ごした5日間は、青年時代に戻ったような感じで毎日楽しく過ごせた。もともとガンジス河は亡くなった人を火葬する神聖な聖地であったのだが、とても人を浮き浮きした気分にさせてくれる不思議な場所でもあった。

火葬場ガンジスのお祭り騒ぎ

夜になって皆で有名な火葬を見に行った。その場はお祭り騒ぎのように賑やかだった。楽団のつんざくような響きと共に遺体が運ばれるがその曲も明るく愉快な感じで中にはそれに合わせて踊りだす人もいた。人の死体はなかなか燃えずに時々油のようなものを掛けて燃やされていた。それにしてもこの火葬を見ようとインド人はもとより欧米の旅行者なども沢山あつまり火葬そのものが観光化されていた。周りに野犬がいるがそれは焼け残った死骸を食べることもあってそれを人づてに聞いた欧米女性はショックで泣いていたらしい。

その場には、日本にいる和牛とそっくりな黒い牛がブラブラとほっつき歩いていたがその牛の一頭が私をジッと見つめて目を逸らさないのが印象的だった。まるで私を知り合いみたいに見つめてくるのだった。こちらの心の中を見通してくるような眼差し、どういうわけか今でもその光景が時々思い出される。

ここガンジスでは色んな人に声をかけられたが商売が絡んでないような二十歳くらいの若者とよく話すようになった。彼は何かにつけて親切にしてくれていて穏やかな若者だったので我々も気心しれたように接していた。しかし、主婦二人組が言うには、あるおばあさんが我々一行に話しかけようとしたら物凄い剣幕でその老婆を罵倒していたという。どうやらこの人たちは私の知り合いなので話しかけるなということらしい。あの彼がと、人の裏側を教えられたみたいで驚きもし又少し悲しくなった。

ガンジス河でバタフライ!

私は、このガンジスで知り合った日本人たちグループでガンジスを中心としたミニツァーや食事をした。ここガンジスでは欧米人の観光客も多いためか一般の食堂にもビールが置いてあり気軽に飲めた。それで夕食時になると宴会のような食事会になり楽しく過ごせた。ガンジス河で盛り上がった我々は水の汚いことも忘れて沐浴ならず泳いだりして涼をとったりした。その後帰国してから大阪のTさんから便りをもらったが彼は帰国後赤痢にかかって大変だったという。きっと誤って水を飲んだのかもしれない。

さて5日ほどガンジスを堪能した私と学生の二人は次にブッダが悟りを開いたというブッダガヤを目指すことにした。ブッダガヤ、その場所は多くの仏教徒にとって聖地であり、ある紀行文によるとチベットあたりのラマ僧にとっても一生一大の念願であるらしい。手塚治虫のブッダにもでてくる聖地だ。仏教には疎い私だが、ブッダガヤに行かずには旅を終えられないように思えてきた。よし行ってみよう。それにはまずガヤへ行かなければならない。この旅の経過も地元のインド人に交じっての旅で初めて経験する大変さだった。朝に出てバスと汽車を乗り継いでガヤに着いたのは夜の9時50分であった。結局半日かかったことになる。駅前のホテルでやっと人心地着くと言った感じであった。

翌日、朝6時頃起きると気持ちの良い晴天で朝日を見ていると駅前には多くの人が路上で夜を明かしていた。インドには多くの路上生活者がいるみたいだ。かれらが焼く朝食のチャパティが漂ってくる。路上で一夜を明かすというと大変なことのように見えるが実際に体験した人によると結構快適らしい。この時期のインドでも夜は気温が下がって寒いのだが、路上は日中の余熱のお陰でポカポカして寒くないということであった。また仲間意識があり泥棒などする輩もいないということであった。

さて、みんなでホテルの朝食を取ってから3日後のカルカッタ行きの汽車の予約をしたりしていると、ひとりのオートバイに乗った小太りのインド人に話しかけられた。ちょうどガイドブックでブッダガヤの記事を読んでいる時だった。その本に書かれているインド人はもういませんと。まるでこっちのこころの中を見通すような鋭い指摘だった。そのガイドブックに書かれているインド人とは?ここからは私が実際に体験したことを手紙形式でブッダガヤの経験を伝えます。

次回ブッダガヤのインド人へ   またしてもくせ者のインド人登場!