インド編 ニューデリー③

暴走リクシャー

さてMさんとリクシャーを捕まえて私の荷物をのせて二人で乗ってみたがまだ十分に余裕があった。周りをみるとインド人たちは、数人単位でリクシャーに乗っているみたいだ。リクシャーは走り出したが、それからが恐怖だった。なぜならその運転手はスピード狂で、まさに吹っ飛ばすといった感じでスピードを出すのだった。ボーっとしていると振り飛ばされるのではないかと思った私は必至で掴まりながら汗をかいていた。私はこの凄まじい運転に必死になりながらもMさんを見て驚いた。彼はこの凄まじい運転の中でも腰を左右に動かしバランスを取りながらまるで荒馬を乗りこなすように平然としている。

暴れ馬のようなリクシャーにのる

あれは中学の修学旅行の時だった。阿蘇の草千里で観光客用に馬に乗ったところ歩いていた馬が突如走り始めて鞍に座るように乗っていた私は跳ね飛ばされそうになった。あの時と同じだ。馬に乗るには体重を鞍と足に分散させなければならないと聞いたのは後のことだ。リクシャーも同じで腰をシートに落ち着けるのではなく少し浮かして左右に柔軟に動かせれるようにしなければならないのだ。そのリクシャーは人混みの中を信じられないようなスピードを出したかと思うと急ブレーキをガツンとかけて急停止したり凄まじい運転を続けた。おかげで10分位で早くメインバザールに到着したものの降りるときにはボロ雑巾みたいにクタクタになり転がり落ちるように降りる始末だった。

しかし、ふーっとため息をつこうとした私の目にはギョッとする悲惨な光景が飛び込んできて足がすくんでしまった。ちょうど暗くなり始めたメインバザールの道にボロを纏った老婆がまるでさらわれたわが子を取り返そうとしているかのように通行人に泣きながらお恵みを請うている。それは、インドの乞食を初めて見たからかもしれない。思わず地獄の1丁目に来たのではと錯覚させられたほどの強烈な印象だった。インドの乞食は悲惨だと聞いていたが想像以上だ。これからは相当覚悟しないと圧倒されて自分を見失ってしまう。

乞食の子供たち ゴミ集めをして働いている?

我に返りふと周りを見るとホテルが立ち並んでいる。旅の最初に探し求めていたバックパッカー向けの安ホテル群だ。すぐ近くのホテルをみるとホテルVISHALとなっている。これだ!最初にこのホテルに泊まろうとしていたのだ。ガイドブックには安宿の中では一番気持ちよく泊まれるホテルでヨーロッパの安宿に泊っているようだと評したコメント紹介もあった。Mさんと別れて中に入るとカウンターがあって普段着の瘦せた中年男が出てきた。値段を聞くと100ルピーという。持っていたガイドブックより少し高くなっているがそれでも安い。今朝のホテルの五分の一だ。やっと貧乏旅行らしくなってきた。この旅のスタイルが当初私が思い描いていたものだと思うと少し落ち着いてきた。男は使い走りであるらしい少年にカギを渡して案内するように言った。少年は7,8歳くらいだろうか、カギを振り回しながらご機嫌な様子で階段を昇り始めた。少年はどんどん上の方へ歩いていく。

冷たい水のシャワーブルブル

ホテルはコンクリートでできているがかなり古く薄暗い。途中でドアを開放したままくつろいでいる白人が見える。エキゾチックな服装をしたその白人は、長く逗留していると見えて部屋の中を欧州風に飾り付けている。少年はどんどん歩いていき3階に昇っていく。3階が一番上らしい。やっと少年が止まった。ここだよという部屋は8畳くらいの広さでトイレとシャワーが一緒になっていてベッドがある。少年は案内するとさっさと帰った。窓があったので外を見るが夜になっていて明かりが見えるだけだ。

落ち着いたところでシャワーを浴びようとするが、お湯のシャワーとは程遠い水のシャワーしか出ない。フロントではお湯が出ると言っていたが。1階まで文句を言いに行く気力もなく水のシャワーを気合を出しながら素早く浴びる。シャワーの後に今日は一日大変だったと述懐していると誰かがドアをガンガン叩き始めた。今朝のホテルで安易にドアを開けて懲りたこともあったので用心して「何だ?」と聞くが何か分からない言葉で怒鳴っている。一体何だろう。それから又「何の用だ?」と聞くがやはり分からない言葉で言い返してくるのだった。

そういうことを何度か繰り返していると「ブランケット!」と言った感じに聞こえたので開けると先ほどの少年がボロ雑巾のような薄いふとんのようなものを持って立っていた。「ごめんね」というと少年は笑顔で「問題ないNO!PROBLEM.」と答えてくれた。しかし、今度は目が冴えてきてしまった。また部屋の外の薄暗い廊下の奥に多分このホテルの従業員だろうか、数人がぼそぼそと話しているのが気になってその夜はなかなか寝付けなかった。

朝、9時頃気持ちよく目が覚める。すると部屋がとても臭いことに気づいた。よく寝られたものだなあと我ながら感心する。その原因は少年が持ってきたブランケットのようだ。日本ならゴミ集積所にもないようなボロさ加減でもインドでは有効利用されている。そんなことを思いながら歯を磨こうとするが水が出ない。今度はフロントへ行き水が出ないというと午前は水が出ないシステムという。このホテルは問題が多すぎる。他を探そう。ガイドブックで調べると近くには同じような安ホテルが沢山あるので今度はお湯がでるかどうか水がいつも出るかどうかなどもチェックしてから決めようと考えた。

早速ホテル探しをするが、歩いて3分ほどの近くの割と清潔そうなAJAIホテルを見せてもらう。20畳位の広いロビーがあり部屋を見せてもらうと、まあまあきれいで給湯器が部屋に設置されている。これならお湯や水の心配もなさそうであった。価格は110ルピーと昨日のホテルと同じであった。それでこちらのホテルに移ることにする。このホテルにしばらく滞在して生活してみよう。Mさんにホテルの移動したと電話すると午後にこちらの方に来ると言う。昼になり近くのゴールデンカフェという中華料理のメニューもあるという食堂で食事をすることにする。チョウメンという焼きそばみたいなやつとヨーグルトを水で割ったラッシーという飲み物を注文。ラッシーはさすがに本場だけあって美味しく2杯注文して34ルピーであった。100円位である。そんな感じでそのホテルを拠点として2週間ほどMさんにインドの物産で輸入販売できそうなものを紹介してもらいながら過ごしていた。

良く食事に行った食堂のゴールデンカフェ

ホテルは割と居心地が良く周りには、そんなに美味しくはないが安食堂が多く便利だった。ヨーグルト系の飲み物は総じて美味しく店によって個性があるのが嬉しかった。食堂は大まかに2種類に別れヒッピー向けに欧米風のメニューがあるものと一般人用の食堂である。一般の食堂の客は労働者みたいな感じの男性が殆どだった。ここで定食であるターリーを注文すると20分位して店員が持ってきた。中身は大豆のカレー、サブジー(ジャガイモのカレー風味)、カリフラワーのカレー、黄色い豆のカレー、ヨーグルト、白米、チャパティというパンで10ルピー(30円位)。このなかで豆のカレー、サブジー、ヨーグルトは美味しかった。

インドの定食ターリー 色んなカレーが楽しめる定食

また、インドでは有名なチャイというミルクティーも何度も飲んだ。これは、生姜入りの薄いミルクティーという感じでインド人は頻繫にこれを飲む。例えばMさんに商談の席に連れて行って貰った店でもまずはチャイを飲みながら話そうという感じだった。当時1.5ルピーから2ルピー(6円から8円)で私も段々好きになりよく飲んだ。コーヒーは見かけなかった。またアルコールは店では置いてないみたいで誰も飲んでなかった。それこそ昼間は暑いのでビールを飲みたいと思ったが飲めなかった。多分もっと中心地のコンノートプレイスと呼ばれる地区のそれなりのホテルに行くとあるのだろう。しかし、ここは一般の庶民の地域でそこの住人にはアルコールは高嶺の花みたいだ。

インドではインドの薬

しばらくお腹の調子も良くなんでもそこの住人が食べているものを食べても大丈夫だったが、ある日、出店のホットミルクみたいなものを飲んでからお腹の調子が悪くなってきた。又これをきっかけに微熱が出てきて風邪のようなだるさが出てきてしまった。多分いままでのストレスもあったのだろう。具合が悪くなったので病院と考えたがとりあえずMさんに相談すると今のホテルはあまりにも騒がしいので今日だけでも静かなホテルに変わって明日インドの伝承医学の病院に連れて行ってくれるという。ということでLIGHTHOTELという静かな所に移動する。そのホテルは、コンノートプレイスの近くで久し振りにゆっくり眠れたのだった。

そして翌日アユルベーダ伝承医学の病院へ連れて行ってもらうが、なんと野外の病院で待ち人が大勢いた。しかし、外国人だからか早く診てもらえた。少し薬草みたいな薬を処方してもらったが効果はよく分からなかった。帰ってから翌日だったか一向に良くならないのでメインバザールの小さな薬局に相談すると店主はああそうかと分かったような感じである薬を処方してもらった。すると日本から持ってきた薬を飲んでも効果がなかったのにインドの薬で不思議なくらい良くなったのであった、インドではインドの薬しか効かないと本で読んでいたが本当だと思わされた一件だった。

インドの物売りたち

ある時Mさんと待ち合わせに行くためにコンノートプレイスというニューデリーの中心地に行く途中に前から来た男が靴を磨かせてくれと言ってきた。その時は革靴を履いていたからかもしれない。必要もなかったので断ってから歩き続けていると先ほどの靴磨きがどういうわけか前の方から現れ私の靴を指さし靴が汚れていると言う。「えっ!」と思ってみるとなんと甲の部分に牛の糞のような泥が付いている。これはやられたと思った。気づかないうちに泥を付けられたのだ。そしてこれで拭くと良いと言って奇麗なハンカチを出してきた。

これがMさんが言っていた靴磨き商法だ。そして、そのハンカチはかなり値を張るという。それを思い出したので「NO!」と断るがそれでも執拗に食い下がってくる。ショッピングモールに入るまで粘ってくる。本当に泥を付けるのは匠の技で引っかからないと思ってもその後2回ほど不覚を取ってしまった。しかし、例え泥がついても悔しいので絶対に自分で拭きハンカチは買わず又磨かせないようにした。

聖なる牛だけど、よく邪魔だとひっぱたかれている
道の真ん中でのうのうとしている牛

更にこんなこともたびたびあった。コンノートプレイスの芝生で休んでいると色んな物売りがやってきた。ある少年の靴磨きは、私が知らないうちに靴を磨き始めていたりして驚くと2ルピーと言ってくる。仕方ないので2ルピーを払おうとするとクリームをつかったのでいきなり15ルピーになると言ってきた。そしてそれは違うだろうと言っていると他の全く関係のないインド人が寄ってきてあなたは間違っている。この子の言うことが正しい、あなたは150ルピー払うべきだとと言ってきたりする。どういうわけか、そういうときのインド人はすぐに結束するのだった。結局じゃ5ルピーということになり予定外に支払う羽目になるのだった。

そして、更にこのおせっかいなインド人は、日本語で書かれたノートを見せてマッサージを受けるように促す。それには「この人は安全で良い人です。この人のマッサージを受けると下痢もすぐに良くなりました。値段も安く200~250ルピーです。」と書いてある。ホテル代が110ルピーなので高い。勿論断る。すると、今度は耳を掃除させてくれと言ってきた。こりゃたまらんとせっかく芝生でくつろいでいても休めずにその場を退散することになったりするのだった。