インド編 前夜のハプニング

さあ、いよいよ出発だ!私はベッドから勢い良く起き上がり「よし!」と掛け声を上げた。それはぬぐい切れない心細さを打ち消そうとする為のものだったが、声を上げたところで何ら変わりはなかった。さて、パリのHⅠSの旅行代理店から教えられた空港行のバスに乗ると当然ながら日本人はいない。代理店の話だと降りる場所、すなわちインド行きの飛行機が出発するターミナルはすぐに分かるということだった。しかし、それは分かっている人の言い分であった。シャルルドゴール空港は、大空港で行先によってそれぞれ乗り場が異なるのだった。

バスの運転手はそんなことは大したことじゃないみたいな顔をしているが、こっちにとっては気が気じゃない。これにはアメリカ人らしい客も戸惑っているみたいでバスの運転手のところに行って心配そうに尋ねたりしている。実際にひとつ前のバスで間違って早く降りてしまった旅行者が再び乗り込んで来ている始末。私も心配になってインド行きの切符を運転手に見せて「インドOK?」を繰り返し言って目指すターミナルにやっとの思いで着いたのであった。バスを降りた途端、フーッとため息をついた私は「こりゃあ、旅の初っ端から油断大敵だなあ、気合を入れていかないと」と思った。

さて十分時間の余裕を取っていたにも関わらず既にチェッキングは始まっており人が並んでいる。早速カウンターへ行ってチェッキングをするが飛行機の出発が5時間ほど遅れて夕方になると言う。何かトラブルがあったのかと尋ねるが何もないという。チェッキングを済ませた私は空港内を見回って時間をつぶすことにした。お土産用のフォアグラがあるが市内よりかなり割高だ。何も買わないでお店を冷やかしただけだが日本人とみるととても愛想が良い。きっとバブルの時にで日本人が大いに買い物をしてくれたせいかもしれない。

その後待合室に行くとボチボチ乗客が集まり始めている。隣に座った男性はパックツアーでのインド観光という。医者なので具合が悪いときは言ってくれと言う。しばらくすると人が増えてきて案内があり機内に乗ることができた。

これが噂のエアーインディアか、少し古びているが乗った感じはまともだ。それまで知人たちから散々悪評を聞かされていたのである程度覚悟していたが今のところ問題なさそうだ。しかし、そう思ったのは甘かった。調子よくいきそうに思えたのは最初だけだった。

あれは、日本を発つ前日のことだった。たまたま入ったインド雑貨店に黒ずくめの女性占い師がいた。なにか偶然じゃないものを感じた私はインドの旅を占ってもらった。占い師は言った。「インドの神様に好かれるかどうかで良い旅か悪い旅かになるでしょう」と。そう言われたことを」ふとよみがえった。でも今のところ順調そうだし大丈夫良い旅になると思うことにした。

インドの神様

さて、パリを出た飛行機はいったんフランクフルトで新たな乗客を乗せてニューデリーに向かうことになっていた。私はこの旅行の最初の旅行地のフランクフルトを懐かしく思い出した。ヨーロッパの最初の良い思い出をもたらしてくれたドイツの土地、まあ降りることはないだろうが、小麦のビールヴァイツェンをもう一度飲みたいなあと呑気に懐かしんだ。しかし、その無欲な思いが天に通じたのか?全く想像もできない形でフランクフルトに再び降りることになった。ただビールを飲むことはできなかったが。

フランクフルトで新たな乗客を乗せた飛行機、一体どうしたことか飛び立たない。待てど暮らせど点検中とやらで動かない。おかしいと思った乗客たちの質問にもう少し待ってくださいを繰り返すのみ。その間、団体旅行のフランス人のおばさんたち、こういったハプニングさえも楽しいのか?はしゃぐこと、うるさいったらありゃしない。

私は隣に乗ってきたキャリアウーマン風のインド人の女性と白けた感じでおばさんたちを見ているのであった。機内はそれまでフランス語ばかりで全然理解できなかったがこの女性と英語で会話できるのがせめてのやすらぎだ。

「どうしたんだろう。動かないねえ」そういうことを言ってから4,5時間も経っただろうか。夜の11時くらいになって壊れかけたスピーカーから機長の聞き取りにくいアナウンスがあった。私は何と言っているのか分からなかったが機内のどよめきからすると非常にがっかりすることのようだ。さすがのどんちゃん騒ぎのおばさんたちもブーブー言っている。

隣の女性が教えてくれたことによるとエンジントラブルのためにフランクフルトに一泊することになったという。それでホテルに行く前に夕食をこれから出すということであった。夕食というより夜の11時を過ぎているので夜食だったが。私は疲れていたので食事よりも一刻も早く寝たいなあと思っていた。

ドタバタした落ち着かない夕食が済むとホテルに行くことになった。しかし、こんな夜遅くにこれだけ多くの乗客を急遽宿泊させるホテルガあるのだろうか?例のおばさんたち先ほどはブーブー不満の声を上げていたのに、こういうハプニングも面白くって堪らないといった感じではしゃぎながら移動している。ホテルはシェラトンという。エアーインディアにしては大奮発かもしれない。私はあの有名な高級ホテルに泊まれるのかと思うと疲れていたにもかかわらず思わずにんまりしてしまった。

フロントの男性はとても感じが良く私が日本人だと見るとゆっくりした分かりやすい英語で応対してくれた。とにかく早く寝たいと思って部屋に向かったのだが入ってみて目が覚めてしまった。これまでのホテルとは月とスッポンもいいとこ!青を基調としたツインの部屋はため息が出るほど奇麗で豪華なのだ。既に夜の12時を過ぎていたので風呂も入らず寝るつもりだったが、何だか勿体ない気がしてきた。結局風呂に入って寝ることにした。こんなホテルならもう一泊か二泊したくらいだ。豪華なベットに横になって暫くすると電話が鳴ったような感じがした。まさかもう朝でモーニングコールじゃないだろうと思ったが朝の7時になっていた。熟睡していたのであっという間に朝になっていたのだ。まだあと2,3時間は寝ていたい。誰かに不満をぶつけるわけにもいかずふーとため息をつきながら渋々起き上がる。集合場所の食堂へ行くとぼちぼち人が集まり始めていた。まだ集まりが悪いところを見ると他のみんなもなかなか起きれないのだろう。トイレに行くと若い男性と顔を合わせお互い自然とにやりと笑顔になる。「エアインディア?」と聞くと「イエス」と元気よく返事が戻ってきた。このころには乗客の間でオナジハプニングを味わった同意しという連帯感が生まれていた。

ホテルの朝食

朝食はドイツのお国柄らしくたっぷりあり更にシェラトンという高級ホテルらしくパン、飲み物、デザートも質が高いものを出していたがみんなが挙って食べるものだから瞬く間に無くなってしまった。きっと寝坊した人は食べそこなったことだろう。ちょうどエアーインディアのスタッフがいたので「どう?今日は離陸できそう?」と尋ねると「いやあ最初から飛行機は問題ないんだ。ただ空港の許可が出ないんだよ。空港側の頭が固いだけさ」という。彼の言い方からすると何だか今回の遅延は離陸の許可を出さない空港側にだけ問題があるように受け取れる。しかし、その後インドを旅して思ったことだがインド人の彼らはなかなか自分の非を認めがらない、そんな性質を持つ人が多いと感じた。その時はまだインド人のことをよく知らなかったのでそうかなと思ったのだが。

ホテルの朝食は美味しかったけど。

朝食後待合室でスイス人の若いカップルと親しくなった。男性の方は目がやや不自由で彼女が面倒を見ながらの旅行らしい。インドを巡って香港にも行くという。彼らのガイドブックにはインドの安宿のことも載っていて本当にこんなに安いんだろうかと話が弾む。そういうことを3時間も待たされただろうか。やっと機内に入ることができた。今度こそはインドに旅つのだと思うとフッとため息が出た。

さて飛行機が無事飛び立ち安定飛行に入ると団体旅行のおばさんたちを筆頭に多くの乗客たちがはしゃぎ始めた。あーワインが飲みたいだの、おつまみが欲しいだのとわがままいっぱいに振る舞い始めたのでスチュワーデスは大変そうだ。おまけに昨日のハプニングもあり疲れているのだろう。目の周りにクマができている。最初の頃の笑顔は消え失せ乗客から声をかけられるとキッと睨むようになったのでだんだん声をかける乗客も減ってきたようだ。隣の女性がインド人だったのを幸いに色んなことを尋ねた。乗客の中で髪の毛の一部分だけをちょんまげみたいに残して剃り上げているのはインドの神クリシュナ神を祭る宗教団体の若者らしい。また、ターバンを頭に巻いているのはシーク派の人たちで菜食が多いインドで肉食をする人たちだと言う。そのためか身体はどっしりしていて髭を生やして押しが強い感じを受ける。

隣の女性が「最近、日本はゼンが強いのねえ」というので一瞬なんのことだろうと思った。外国人は日本の文化に興味を持っていることがよくある、禅のことだろうか。説明できるほど勉強していないのでもっと勉強しとけば良かったと思ったがそうではなかった。それはエン、通貨の円のことだった。私の旅行中にも円高が進行していてイタリアで買い物した時も店の主人から以前よりも円高のせいで日本人には安くなっていると言われたものだ。彼女の話しぶりはそんな日本人は恵まれているわねえというニュアンスがあった。彼女はエンジニアと結婚してイタリアに住んでいるが年に一度はインドに里がえりするということだった。そんなとりとめもない話にも疲れて寝たり起きたりしてやっと無事にニューデリーに到着した。フランクフルトを昼頃出発したのに今はインド時間で午前2時だという。一番便利の悪い時間でどうしようもない。空港に降り立つや香辛料を含んだような生臭い空気がムーンと伝わってくる。酷寒のヨーロッパから熱帯のインドヘ、時差と気候の急激な変化で身体のリズムが狂いそうだ。