インド編 ブッダガヤからの手紙①

先日お葉書受け取りました。インドへの旅行を予定しているので何でも良いから体験談を教えてほしいということでしたね、旅の初めから記憶を整理するのは大変なので思い出したことから、かいつまんでお教えしたいと思います。

あれは、ブッダが悟りを開いたと言われるブッダガヤでのことです。旅の途中で知り合ったK君とS君と私の三人はビルマのお寺の宿坊みたいなところに宿を取りました。なぜなら、とても日本語が堪能な小太りのインド人が案内してくれたからです。日本語が通じない国にきて日本語が話せる人がいると、それはもう安心します。

亀さんと呼んでください。私は善良なインド人です。安心して下さい。

その人は日本語の名刺も作っていて、それにはカタカタでカメと書かれてあって「私のことはカメさんと読んでください。あの亀ですよ」という具合にこちらが舌を巻く位上手な日本語を話すのでした。「どこで勉強したんですか?」と聞くと何でも日本語の学校があって、又ブッダガヤには多くの仏教徒がお参りにくるのでうまくなったとのことでした。それにしても何という頭の良さでしょう。ただひとつ気になったのは親切すぎて少し煙たいなあと感じさせることでした。

亀さんから大魔神へ変身

一段落して昼食に宿を出て三人で出かけようとすると案の定、亀さんが「私が案内します」と言ってきたのでやっぱりと我々は顔を見合わせたのでした。「有難いですが、三人でブラブラ散策しながら行ってきます」と言うと今まで恵比寿様みたいに柔和な表情の顔が一気に仁王様のように豹変しました。大して失礼なことを言ったのでもないのに、それはまるで大魔神の映画を思い出させました。でもすぐに気を取り直して「そうですか。気を付けて」と言ってくれたのでした。

エッ!その変わりようは?やはりあなたは悪いインド人?
優しい亀さんから大魔神へへんし~ん!これが真実の姿です。

その日は前日の疲れが残っていたので昼食を終えると散策を止めて宿で昼寝をしました。インドに来てやっと田舎の静けさに触れたせいか良く休めました。そして夜になり皆で夕食を取りに行こうとすると、出口になんと日本の屋台と同じような格好の屋台があり、あの亀さんが「どうぞ、こちらです!」とおいでおいでをしています。我々三人はあまりの好都合な展開に吸い込まれるように屋台に入っていきました。さらにカメさんは「ビールはいかかです?」と薦めてくるではありませんか。私は一瞬耳を疑いました。なぜなら、ここインドの田舎でビールを飲むのは一苦労しなければならないからです。

この国の普通の人々は宗教のせいか飲酒をタブーと考える傾向があって昨夜泊ったガヤのホテルでものどの渇きに耐えられず「ビール、プリーズ!」と言ったらウエイターが慌てて「シーッ」と指を立てて静かにと言うのです。そしておもむろに隅っこの人目につかない席に移るように言われ、それからできるだけ目立たないように静かにビールを持ってきてくれたのでした。それはまるで麻薬のような扱いでした。

そんな苦労があったものですから、日本の居酒屋みたいに「ビールいかがです?」と気軽に言われたことに戸惑ったのでした。相変わらず料理の方は馴染めませんでしたが、ビールを飲めたことでその夜はとても満足しました。また宿の屋上からの見た星のきれいだったことも印象的でした。

さあー!いらっしゃい。いらっしゃい。ビールはいかがですか?
こんなところに日本の屋台が!ここはどこ?インドじゃなかった?

さて翌朝起きて皆で朝食に行こうとすると、昨日の屋台がもう準備万端で開業しているではありませんか。そしてまた日本語で「どうぞ、いらして下さい。」と聞こえてきます。亀さんかなと思うと違いました。すらりとした中年のインド人が手招きしているのでした。そして昨日と同じ好都合な展開に我々は吸い寄せられるように屋台に入りました。

彼はスレンダーさんといってこちらも亀さんと同じ位流暢に日本語を話されるのです。聞くところによると彼は日本に出稼ぎに行っていたことがあって、それで日本語を覚えたということでした。彼はまさに多弁という言葉が相応しくブッダの修業時代などを事細かく話して聞かせてくれ仏教徒なら涙を流して喜ぶだろうと思わせました。

スジャータ村の案内

一通り食事と話が終わると彼はこう言いました。「これから丁度スジャータの村に行こうと思いますがご一緒しませんか?」と。それはまさに我々が行こうと予定していたところだったので少し驚きました。(このスジャータというのはブッダが悟りを開く前に衰弱したブッダに乳がゆを出して体力を回復させた村の娘のこと、体力を回復したブッダは瞑想して悟りを開いたと伝えられている)このあまりに都合の良い申し出、さすがにこれは何かあるんじゃないかと頭に引っかかりました。実は先日ガイドブックを読んでいるとビルマ寺の親切なインド人には注意と書かれてあったんです。彼らは日本人に親切にして恩を着せ義理を感じたのを利用して物を買うように迫ると。しかし、ちょうどそれを読んでいるところに亀さんに話しかけられ「ああ。その悪いインド人はもういなくなりましたよ」と言われたのでした。

しかし、人がたまたま読んでいるガイドブックの内容まで知っているとはと空恐ろしくなりました。そういうこともあって返事を渋っているとスレンダーさんは「ついでですから、ガイド料は要りませんよ」と言うのでした。地元の人がついでに観光地に行くだろうか。私が黙っているとS君が業を煮やして「行きましょう」と言うので三人で行くことにしました。まあ男が三人もいるのだしと思いなおしました。

スジャータ村はこれといって物珍しいものはありませんでしたが、案内する途中でのスレンダーさんの話は非常に熱がこもっていて飽きさせない話しぶりでした。その内容をかいつまんで言うと最近人々は神の教えを忘れお金にばかり執着しているのが遺憾というものでした。取り立てて観光らしきものがない干上がったスジャータ村の河などの観光が終わるとスレンダーさんはこう言いました。

「ちょうど近くに私の雑貨店がありますから寄って行って下さい」と。私はハッと思いましたが、三人もいることだし寄るだけならいいかと皆で行ったのでした。その店に在るのはインドの観光地で欲見るような仏像でしたがアメリカドルで値札が付けられていてそれも数百ドルというようなバカ高い金額でした。インドではアメリカドルは、とても価値を持つのです。多分他の店の何十倍の値段でしょう。

多分ツアーを組んで日本から直接ここに来た仏教徒の人たちは他所の店の値段も知らないで来るので有難がってこの日本円で数万の仏像も購入するのではないでしょうか?そういうことに味をしめて日本人ならこの値段でも買ってくれると思ってこれだけ我々にアプローチしてくるのでしょう。しかし我々は他のインドの物価を知っています。それに学生と貧乏旅行者です。もちろん我々は何も買わずに店を出ましたが、スレンダーさんは無理に買わせようとはせずにただガックリ肩を落としてました。

宿に帰るや否や我々はこれはもうガイドブックの載っていた悪いインド人に違いないということで意見が一致し、これ以上ここにいてはヤバいということになり、そそくさと荷物をまとめてビルマ寺を出ていくことにしました。しかし、それですんなりと帰してくれる彼らではありませんでした。