インド編 ニューデリー②

状況一変!

まったくインドというところは、いったん取引をするとどこまでも相手から搾り取ろうとする。日本の常識は通じない。これは心してかからないといけない。あのインド雑貨店の占い師が言った「インドに着いたときにインドの神様に好かれるかどうかで旅の運が決まるでしょう」と言われたことが思い出された。しかし旅は始まったばかりだ。気を取り直した私は悪運漂うこのホテルを出てメインバザールへ行くことにした。多少の損失に足を引っ張られて旅全体を無駄にしたくない。

しかし、すぐにこのホテルを出たいと思ったがここがどこなのか分からない。ベランダから外を見るが鷲鼻の運転手が言った危険なスラム街とそう変わらないようにも見える。インドの記念すべき1日目は、こうして不安のうちに始まったのであった。

まだ朝の8時位だ。しばらくベッドで休むが時差ぼけと神経の疲れのせいで熟睡できぬまま昼前に目が覚めた。とにかくMさんに連絡してみよう。直接会ったことはなかったが旅立つ前に電話で何度も話していた。Mさんはインドの物品を中心に輸入業をしていてインドと日本をなんども行き来し、当時もインドのニューデリーに滞在していた。ヒンズー語も仕事で使う日常会話位はを話せるということだった。私から見ればインドの達人だ。下のフロントに降りてまたあの強欲なマスターとマネージャーと顔を合わせると思うと気が重かったが、降りてみると状況が一変していた。それはまるでどっきりカメラのような感じだった。

さっきとは打って変わって、善良そうな二人の男性がいてこちらに微笑んでいたのだ。あまりの変わりように唖然としていると「空港のインフォメーションをみて当ホテルに来られたんですか?」と丁寧な感じで話しかけてくる。インフォメーションも何もこちらは騙されて高いお金を払わされたんだよと言いたかったが、彼らの態度の良さは先ほどの怒りを鎮める穏やかさがあった。まるで一流ホテルのフロントマンのようだ。これがさっきと同じホテルだろうか?何だかキツネにつままれたような気がしてならない。呆気に取られている私を見て何かおかしいと思ったのか?「何かあったんですか?」と尋ねてきた。この二人は信用できそうだと思った私は「ここのホテル代いくら?」と聞いてみた。ひとりが料金表を見せてくれた。すると、なるほど一番安い部屋は450ルピーとなっている。そして一番高い部屋は1500ルピーだ。500ルピー払ったので50ルピーはリクシャーの駄賃として渡したが、鷲鼻の運転手は50ルピーでは満足できなかったのだろう。しかし、あのマスターも自分の分の450ルピーは取っておいて余分に取った50ルピーだけをリクシャーの運転手に渡すとは、欲が深い。

狐につままれたような

料金表を見終わって実は先ほどこういうトラブルがあって大変だったんだよと訳を話すと二人はにわかに顔を曇らせた。そして二人で何かを相談してあいつら又悪いことをして観光客を困らせたんだという感じで話していた。どうやらここのマスターはリクシャーとつるんで不慣れな観光客を騙しては必要以上にお金を支払わせているらしい。それであの鷲鼻の運転手は、50ルピーの分け前では満足できず、私のところへホテルのレセプションと騙してドアを開けさせ直談判に来たというのが真相みたいだ。そのフロントマンが言うには部屋代は適正だったが、リクシャーが200ルピーというのは法外でしないなら10ルピー位だという。またこの辺りは100%安全な地域で安心して良いという。

私はこの辺が安全だと聞いてやっと人心地ついた。それまでは悪い想像ばかりしてどうしてここを逃げようかと思っていたのだ。学生だった頃ミッドナイトエクスプレスという映画を見たことがある。それは実話を元に作られた映画で鳥肌が立つほど怖い映画だった。内容はトルコに観光旅行に行ったアメリカの大学生が遊び半分に持っていた麻薬で空港で逮捕される。アメリカと同じ感覚で軽い気持ちだったのだろう。しかし、その時のトルコでは麻薬所持は重大な犯罪として罰せられ一生出られない牢獄に入れられてしまうのだった。最後は運よく監獄を抜け出して無事にアメリカに帰れるのだが。私はどこかわからないインドの地域に連れてこられ、その映画のことを思い出したのだった。

一生牢獄に監禁される?

さて電話を借りてMさんに電話すると中年の女性が出てMさんを呼び出してくれた。どうやら一般の住宅の部屋を借りているらしい。Mさんが電話に出て久々の日本語を聞くとホッとする。「いやあインドに着いた途端大変な目にあったんですよ」と経緯を話すと「インドでは、よくあるパターンですね」とことなげもなく言う。そんなに簡単に言われると一度はお先真っ暗になった私は何だったんだろうと思うが、インドに詳しいMさんからすると取るに足らないことらしい。そちらはどこですかというのでホテルのパンフレットを見て答えると「そこはメインバザールからかなり離れていますねえ。ただ、偶然にも有名な商店街で物品を探すにはとても良い場所なんですよ。実は私もその街へ商品を探しに行こうと思っていたんですよ」と言う。どうやら悪徳リクシャーは、わざわざメインバザールから遠い所に連れてきてくれたがインドの物品を捜すという仕事には便利な街のようだ。用事を済ませてから午後の3時頃にそちらに行きますからと言った。

インドの街並み

さて安心するとこの町を散策してみたくなった。ホテルを出てメイン道路に向かってブラブラ歩いていく。よくみるとさっきのスラム街と鷲鼻の運転手が言っていたところとそう変わらない。インドの街はこんなものだったのだ。3歳くらいの男の子が遊んでいるがランニングシャツだけでおしりの周りが汚れている。まだ、私が小さい頃は近所でもあんな恰好をした子供は珍しくなかったものだ。今の日本では子供用でも大人顔負けのお洒落な格好をした小さい子供を見かけるようになった。10分ほど歩くと人通りが多いメインストリートを挟んだ商店街に出た。お祭りみたいに人が多い。時々「フレンド!」と声を掛けてくる輩がいるが相手にすると面倒そうなので無視する。7,8歳位の子供のおもちゃ売りがいるので見ていると通りの通行人におもちゃの機関車などの結構大きなものを売りつけている。ある中年の男性にこれを買ってというように強引に押しつけているが押し付けられた方も相手の子供が7歳位だと無下に断れないと感じたのか仕方ないなあという感じで買ってあげていた。

インドの商店街

インドには学校に行かずに働いている子供が多いみたいだ。そのアーケード商店街には、様々な格好の人たちがいた。ターバンを巻いた髭面の男たち、彼らは肉食もするシーク教徒で体格もガッチリし威圧感がある。それと対照的に痩せて日に焼けた労働者風の男たちは目をギラギラさせている。ガイドブックによると彼らは菜食らしい。それは好んで菜食でなく経済的な問題らしい。女性たちは年齢に関係なく色とりどりのサリーを纏っている。日本ならけばけばしいと思われるような色のサリーでお腹を出して着ているのでお腹の脂肪が丸見えなのだが貫禄たっぷりに歩いている。近くでセミがビービー鳴いているなあと思ったらオートバイのホーンの音であった。そのバイクで人通りが激しい中を無理にこじ開けて通っているので絶え間なく鳴らしているのだった。

蝉の声みたいなオートバイのホーン

ブラブラ散策した限りではインドのあらゆる品物が揃っているようだった。歩き疲れたのでいったんホテルに戻ることにした。1階のロビーの椅子に座ってMさんを待っているとホテルの常連らしい髭面のターバンを巻いた太った男が話しかけてくる。日本人が珍しいと見えて色んな質問をしてくる。インドをどう思うか?インドの女性はどうか?などインドに関しての質問なのだが、こちらも着いたばかりでわからない。しかし、友好的に答えてとても「グッド!」というと「そうか、そうか日本人はそう思うか」と喜ぶのだった。それが嬉しいと見えて又質問してくるのだった。このインド人は、自尊心が強いようだ。そして実は俺は金持ちの実業家で車を数台持っているという。それに感心した様子を見せると嬉しそうにする。更に持っていた新聞をさして「俺は大学出のインテリなので英語を話したり読んだりすることができる」とこれまた自慢げに話す。

助け舟現る

本当はインドはひどい所だ。着た早々無用な出費をさせられたと話したかったが、又トラブルのは嫌なので止めておいた。私が持っていた何でもないボールペンを見て「それを見せてくれ」と言ってくるので渡すと「これが日本のボールペンか」と興味深そうに見入っている。そして「俺のと交換してくれ」と言ってくるが、お気に入りのボールペンだしインド製のボールペンの性能が未知数だったので断る。すると売ってくれと言う。それも断ると「じゃあ、俺のボールペンをあげよう」と粘ってくる。面倒くさくなりそうなのでそれも要らないというとホテルのスタッフに「この日本人は変わっているぞ。俺がボールペンをあげようというのに要らないだとさ」とこれまたうるさい。いい加減この男から逃げ出そうと又散策しようと歩き出すと向こうから一台のリクシャーがやってきた。そして30歳くらいの日本人男性が降りてきた。どうやらMさんらしい。そして彼もまたリクシャーともめ始めた。

インドの達人でさえリクシャーともめるのかと見ていると違っていた。彼は自信たっぷりに「お前、何寝ぼけたことを言ってんだ!メーターを見てみろ!」という風にメーターを指さした。そしてその料金であろうお金を運転手にポンと渡したのだった。するとこの人に運賃をごまかそうとしてもダメかという風にすごすごと退散したのだった。

そうだ!こうでなくちゃいけない。ガイドブックにもリクシャーはメーターがあるので乗った際にそれを倒したかどうか確認すること、若しくは乗る前に料金の交渉をしてから乗るようにと書いてあった。更にこんなこともあろうかと書いてあった。インド人に言わせるとインドでは騙す奴が悪いんでなく騙される奴が悪いんだと。そう言えば、この旅行に旅発つときにインド放浪を経験したUさんに切符を騙されて買った話を聞いた。デリーからガンジス河へ行くときに一等切符と言って二等切符を買わされてひどい目に遭ったと。

さて、「Mさんですか?」と言う私の声に振り返った彼は聞いていた年齢よりもずっと若くまだ少年の面影を残していた。お互い簡単な自己紹介が済むと通りに出て一緒に食事をしようということになった。彼が連れて行ってくれたのはこのインドは最もあか抜けているといってもいいファーストフード店のようなところだった。前金制でレシートを調理場のカウンターに持っていくと料理をくれるようなシステムだった。私はインドに入ったらまず食べてみようと考えていたタンドリーチキンを注文した。

インド本場のタンドリーチキン

この料理は、チキンにヨーグルトとスパイスを絡ませて焼く料理で日本のインド料理店で何度か食べたことがあるがもう少しパンチが足りない。きっと本場物ならスパイスの効きがもっと良いだろうと想像していたのだ。本場物は、鶏肉が小さく鶏というよりもチャボのように小ぶりだった。しかし味の方は、さすがだ。風味豊かな辛口のスパイスが鼻を刺激し食欲をそそりキュッと引き締まった歯ざわりの良い肉、それは鶏というより野鳥のような力強さを感じさせる。その野生の力強さが伝わってきて旨い。これで30ルピー、日本円で100円位だと思うと嬉しくなる。

インド胡椒の洗礼!

私がしきりに感心しながら食べているとMさんが「どうです?美味しいですか?」と聞いてきた。彼は豆のカレーを食べている。彼によると日本にいるときも菜食をしているが日本だと完全な菜食をするのは難しくて高くつくと言う。その点インドなら菜食している人が殆どなので好都合ということだった。ふと皿を見るとししとうのような野菜があったので嬉しくなったがこれが大間違いだった。ポンと口に入れて何気なく噛むと火箸を突っ込まれたような衝撃が走った。すぐに吐き出したが遅かった。あまりの痛さにしばらく動けなかったほどだ。それは胡椒の強烈なやつだったのだ。Mさんが私の様子に驚いて「大丈夫ですか?」と声をかけてくるが返事ができない。5分位してやっと落ち着いてきた。Mさんも同じような経験をしたことがあるという。インドには、日本では想像ができないほどスパイスの種類が豊富で、それぞれが力強くて情け容赦なくこちらを刺激する。

口の中が火事場になるくらいの胡椒

さてMさんに肝心の仕事輸入販売のことを尋ねるとインドとの取引はちょっとやそっとでは分からないから色んなことを体験しながらやった方がいいと言う。実際そうだろう。この国は私にとって未知数の度合いが桁外れだ。ここからメインバザールまではかなり離れているという。Mさんはメインバザールを通り過ぎたニューデリー市内に部屋を借りているという。既に滞在は半年位になるが1年間のビジネスマンビザを取得して来ているのであと半年近く滞在するらしい。この地域のことは私のガイドブックにも載ってない。地理が分からないと動きようがなくて不安だ。なので少し勿体ない気がしたが最初の目的地だったメインバザールのホテルに今日中に変わることにした。ちょうどMさんはメインバザールは途中の帰り道ということで一緒に行くことにした。ホテルに帰ってチェックアウトするというとスタッフは驚いていた。私としては、インド流の手厳しさを教えてくれたホテルだったが、このホテルを離れられると思うとやはりホッとした。